大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成10年(ネ)981号 判決 1999年3月25日

控訴人 国 ほか一名

代理人 戸谷博子、松崎研丈 ほか二名

被控訴人 佐藤フヂヱ

主文

一  控訴人菊地一介の控訴に基づき、原判決主文第一項を取り消す。

二  右部分に係る被控訴人の請求を棄却する。

三  控訴人菊地一介のその余の控訴を棄却する。

四  控訴人国の控訴に基づき、原判決中、控訴人国に関する部分を次のとおり変更する。

1  控訴人国は、被控訴人に対し、九〇万三七八一円及びこれに対する平成八年一二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人の控訴人国に対するその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じて、控訴人菊地一介と被控訴人との間では、同控訴人に生じた費用の一〇分の九を被控訴人の負担とし、その余を各自の負担とし、控訴人国と被控訴人との間では、控訴人国に生じた費用の五分の四を被控訴人の負担とし、その余を各自の負担とする。

六  この判決四1の項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  控訴人菊地一介(以下「控訴人菊地」という。)

1  原判決中、控訴人菊地敗訴の部分を取り消す。

2  右部分に係る被控訴人の請求を棄却する。

3  控訴人菊地と被控訴人との間で、同控訴人が原判決別紙供託金目録記載の供託金(原判決にいう「本件供託金」)について還付請求権を有することを確認する。

4  訴訟費用は、第一、二審を通じて、被控訴人の負担とする。

二  控訴人国

1  原判決中、控訴人国敗訴の部分を取り消す。

2  右部分に係る被訴訟人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審を通じて、被控訴人の負担とする。

第二事案の概要

一  本件は、亡西村マツヨ(原判決にいう「マツヨ」)の姉で相続人である被控訴人が、マツヨの甥で代襲相続人である控訴人菊地に対し、同控訴人がマツヨの預貯金を解約し払戻しを受けて相続人の相続分を侵害したとして、不当利得の返還あるいは不法行為に基づく損害賠償の請求を、控訴人国に対し、被控訴人の相続分に応じて分割された郵便貯金の払戻しの請求(原判決にいう「甲事件」)を、マツヨの預金の預入先の中之郷信用組合が被控訴人の法定相続分相当額の預金について供託した供託金の還付請求権について、被控訴人がこれを有することの確認の請求(原判決にいう「乙事件」)を、また、控訴人菊地がこれを有することの確認の反訴請求(原判決にいう「丙事件」)をそれぞれしている事案である。

原審は、甲事件のうち控訴人菊地に対する請求について被控訴人の請求を一部認容し、控訴人国に対する請求を認容(附帯請求の一部を除き)するとともに、乙事件について被控訴人の請求を認容し、丙事件について控訴人菊地の反訴請求を棄却した。

二  当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実は、原判決摘示(判決七頁一行目から一一頁四行目まで)のとおりであるから、これを引用する(証拠中、特に断らないものは甲事件の証拠である。以下同じ。)。

三  争点

1  被控訴人に訴訟能力があるかどうか。

(一) 控訴人菊地

被控訴人は、訴訟委任をした平成九年当時は、呆けのため、訴訟委任状に署名することもできず、訴訟能力がなかった。現に、平成九年より前の作成日付の被控訴人の訴訟委任状には被控訴人の署名があるのに、同年以降の作成日付の被控訴人の訴訟委任状にはその署名はなく記名である。

(二) 被控訴人

被控訴人は、本件について訴訟委任をした当時、訴訟能力を有していた。

2  マツヨは、昭和六〇年六月二〇日付け(その後平成元年一一月三〇日付けに変更)の書面(原判決にいう「本件書面」)により、控訴人菊地に対して、原判決別紙預貯金目録一ないし九の預貯金(原判決にいう「本件預貯金」)を遺贈(ないし負担付き遺贈)したかどうか。

この点に関する当事者双方の主張は、原判決摘示(原判決一一頁一〇行目から一三頁八行目まで)のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決一二頁一〇行目の「である。」の次に「ただし、本件預貯金三ないし七については不法行為のみを主張する。」を加え、一三頁八行目末尾に行を改め「仮にそうでないとしても、マツヨは、本件書面をもって、控訴人菊地に対し、マツヨ死亡後の火葬、納骨、永代経納付、一周忌、三回忌の法要、京都東大谷での供養、電気、ガス、水道、放送局、医療費等の料金の精算等の事務を委託した上、本件預貯金の通帳及び印鑑を交付し、もって、本件預貯金を負担付きで遺贈した。」を加える。

3  マツヨは、控訴人菊地に対し、マツヨの生前及び死後の事務処理を委託し、その事務処理費用を本件預貯金から支出する権限を付与したかどうか。

(一) 控訴人菊地の主張

マツヨは、昭和五八年四月末、控訴人菊地に対し、「是非とも最後まで私の面倒をみてもらいたい。お金はこれを使ってくれ。私のことはすべて任せます。」と言って、本件預貯金の通帳及び印鑑を交付し、また、平成二年一月四日、控訴人菊地に対し、本件書面のほか、その後控訴人菊地から一旦返還を受けていた本件預貯金の通帳及び印鑑をあらためて交付し、「これからも何から何まで頼みます。最後まで面倒をみてくれるようお願いします。」と言って、本件書面に記載されたマツヨの火葬、納骨、永代経納付、一周忌、三回忌の法要、京都東大谷での供養、電気、ガス、水道、放送局、医療費等の料金の精算等の事務を委託し、さらに、平成四年一一月、その後控訴人菊地から一旦返還を受けていた本件預貯金の通帳及び印鑑をあらためて交付したうえ、「一介さんには、これからの私のことを何から何まで全て頼みます。」と言って、その費用に充てるために本件預貯金を払い戻して支払をする権限を付与した。そして、控訴人菊地は、別紙一覧表一及び二記載のとおり、マツヨから依頼された事務処理を行い、その費用を支出したので、右授権に基づいて本件預貯金を解約し、その費用の支払に充てた。

控訴人菊地は、当審弁論準備手続期日において、被控訴人に対し、右事務処理費用合計一三九二万八三〇五円を自働債権とし、本訴請求債権を受働債権として、その対当額で相殺する旨の意思表示をした。

(二) 被控訴人の主張

被控訴人は、マツヨの入院、旅行の度に預貯金の通帳、印鑑を預かっていたから、昭和五八年ないし平成二年当時は、マツヨが控訴人菊地に対して預貯金の通帳及び印鑑を預けたことはなかったと思われる。また、控訴人菊地は、平成五年頃、マツヨの貯金通帳の中から一〇〇万円を支出しており、これで諸経費の支払に充てたものと思われる。本件書面には、葬式はやめて火葬だけにして下さいとあるから、葬儀関係費用の支出がマツヨの意向に添うものではないことは明らかである。

4  控訴人菊地は、マツヨの遺産について優先弁済権を有しているかどうか。

(一) 控訴人菊地の主張

控訴人菊地は、本件書面に記載されたマツヨの火葬、納骨、永代経納付、一周忌、三回忌の法要、京都東大谷での供養、電気、ガス、水道、放送局、医療費等の料金の精算等の費用について、先取特権を有している。したがって、控訴人菊地は、マツヨの全財産からその費用について優先弁済権を有する。また、先取特権に該当しない出捐であっても、右費用は、マツヨのために必要なものである。控訴人菊地は、立替支払をしたその代金等について、求償権の行使として、マツヨの預貯金からその支払を受け、あるいは事務管理としてマツヨの預貯金から支払を受けたものである。これらの費用は、相続債務として、法定相続分算定の基礎となる相続財産から控除されるべきものである。

(二) 被控訴人の主張

争う。

5  定額郵便貯金債権を相続した共同相続人の一部の者から、その払戻しを請求することができるかどうか。

この点に関する当事者双方の主張は、原判決摘示(原判決一三頁一〇行目から一九頁三行目まで)のとおりであるから、これを引用する。ただし、一五頁末行末尾に改行して、「マツヨの死亡による相続の結果、右定額郵便貯金は各相続人に分割されたから、相続により取得した債権の払戻請求は、分割払戻しではなく債権全額の払戻しを請求するものであって、何ら郵便貯金法の規定に抵触しない。」を加える。

第三争点に対する判断

一  争点1について

<証拠略>によれば、被控訴人は、その意思に基づいて本件訴訟を追行していることが認められるところ、他にその訴訟能力の存在に疑いを差し挟むべき事情もないから、被控訴人の訴訟能力に欠けるところはないものというべきである。控訴人菊地は、平成九年より前の作成日付の被控訴人の訴訟委任状には被控訴人の署名があるのに、同年以降の作成日付の被控訴人の訴訟委任状には記名のみでその署名がないことを挙げてその疑いを抱くべき事情とするが、それだけでは、その訴訟能力の存在を疑うに足りるものということはできない。

二  争点2ないし4について

1  前記引用に係る当事者間に争いのない事実及び<証拠略>を総合すると、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(一) マツヨ(大正一〇年生)は、昭和四三年に夫に先立たれた後、子供もいなかったことから、大阪から単身上京し、甥である控訴人菊地の所有建物で生活をし、同控訴人の世話を受けていた。マツヨは、年金と恩給とで生計を立てていた。

(二) マツヨは、平成四年七月ころ、直腸癌と診断され、手術をして人工肛門をつけるようになった。マツヨは、同年一〇月に一旦は退院したが、平成五年七月に再入院し、同年八月六日に死亡した。

(三) 控訴人菊地は、マツヨの入通院中を通して、その身の回りの世話に努め、マツヨの依頼に従い、その入通院費用、薬代を負担したほか、マツヨが人工肛門をつけたこともあって自宅建物に風呂を設置し、また、鬼怒川温泉に湯治に連れていき、マツヨの死後は、その葬儀、納骨、一周忌、三回忌の法要を自ら執り行った。控訴人菊地は、マツヨから預かっていた本件預貯金の通帳及び印鑑を使用して、マツヨの預貯金の解約払戻手続を行い、以上の費用を支払い、あるいはその立替金に充当した。

(四) マツヨは、当初控訴人菊地の世話になるについて、その預貯金通帳及び印鑑を預けた。また、マツヨは、昭和六〇年六月二〇日付けで、本件書面を作成し、その後、その封筒に記載した日付を平成元年一一月三〇日に改め、そのころ、控訴人菊地に対してこれを預けている。

(五) 本件書面は、控訴人菊地宛の書面の形式を取ったマツヨの自筆に係る文書であり、末尾には日付とマツヨの自署があり、その指印が押捺されていて、自署証書遺言の要件を具備している。その内容は、控訴人菊地に対し、生前の世話に感謝するとともに、さらに次のことを依頼するという構成をとっている。その依頼事項としては、<1>葬式の件、<2>京都に納骨する件、<3>郵便局の保険金と日本生命の保険金をその費用に充てること、<4>貯金が余っていれば、そのままにして、一周忌と三回忌には供養のために京都までお詣りに来てほしいこと、<5>神棚の件、<6>年金等停止手続の件、<7>家財道具の処分の件、<8>借金はないことが列挙されている。

(六) その後、マツヨが平成四年七月ころに入院した際には、被控訴人の方でその面倒をみるということになったので、控訴人菊地は、マツヨに対し、かねて預り中の預貯金通帳及び印鑑を返却した。ところが、マツヨが、平成四年一〇月の退院に当たり、再び控訴人菊地に面倒をみてもらいたいとの希望を表明したので、再び同控訴人がマツヨの世話をすることになったが、その際、マツヨは、控訴人菊地に対し、あらためてその預貯金通帳と印鑑を預け、死亡後のことを含めて以後の面倒を一切任せるので、その預貯金で全部やってくれるように依頼した。

2  右認定事実によれば、マツヨは、かねて控訴人菊地の世話を受けて生活をし、その間はその預貯金通帳と印鑑を預け、また、平成元年には、控訴人菊地宛の書面の形式で自筆証書遺言である本件書面を作成してこれを交付していたものであるところ、人工肛門の手術を受けて退院した平成四年一一月には、控訴人菊地に対し、その後の一切の生活に関する事務のほか、その死後の事務処理を依頼すると共に、それに必要な費用をその預貯金から支出する権限を付与し、控訴人菊地は、右依頼及び授権に基づき、マツヨの生前及び死後の事務を行い、その費用ないし立替金に充てるため、マツヨから預かっていた預貯金通帳と印鑑を使用して、その解約払戻手続を行ったものと認めるのが相当である。

控訴人菊地は、本件書面により、マツヨが控訴人に対して本件預貯金債権を遺贈したと主張し、<証拠略>にはこれに沿う部分がある。しかしながら、本件書面には、控訴人菊地に対して遺贈をする旨を記した部分は存在せず、かえって、その書面全体の趣旨内容に照らすと、従前から世話になっている控訴人菊地に対して、死後の事務処理を事細かく指示してこれを委託し、その委託事務処理を遂行するための費用の支弁について指示をし、また、供養の費用として貯金を使って欲しい旨の希望を表明しているにすぎないから、これによれば、本件書面は、従前から身の回りの世話をしてくれた控訴人菊地に対し、あらためて死後の事務処理を明示的かつ具体的に委託したに止まるものというほかはなく、すすんで、その預貯金全部ないしは使用後の残額を控訴人菊地に帰属させるとの意思を表明したとまで認めることは困難である。したがって、控訴人菊地の遺贈(ないしは負担付遺贈)の主張に沿う前記証拠は採用することができず、他にこれを認め得る証拠はない。

また、控訴人菊地は、先取特権ないし求償権の主張をするが、その主張事実がみとめられたからといって、本件預貯金及び本件供託金が控訴人菊地に帰属することとなるものではないから、被控訴人の本件各請求を妨げ、あるいは控訴人菊地の請求を認めるべきこととはならない。よって、右主張は理由がない。

3  このように、控訴人菊地は、マツヨからの委託に基づき、その生前及び死後の事務処理を行い、その費用を支出したものであるところ、<証拠略>によれば、その支出額は、控訴人菊地自身が支出したとは認め難い家賃相当額を除いてみても五七〇万円余に及び、これからさらにマツヨが本件書面で行う必要がないとした葬式費用(控訴人菊地の主張によっても二一八万七七六〇円を超えない。)を控除してみても、控訴人菊地が解約して払戻しを受けた本件預貯金一、二及び八の合計金額である三五〇万八〇二八円を超えるものであることが認められる。そうすると、控訴人菊地が本件預貯金一、二及び八を解約してその払戻しを受けて領得したことは、マツヨから授権された権限に基づくものであるから、法律上の原因があり、また、その授権の性質に鑑み、その死亡によっても権限が消滅するものではないというべきであるから、不当利得はもとより、相続人である被控訴人に対する不法行為に当たるものでもない。

これに対し、本件供託金は、マツヨの遺産であるところ、<証拠略>によれば、中之郷信用組合が、被控訴人からその相続分についての払戻請求を受け、その相続分に相当する部分として特定して供託したものであることが認められるから、その供託の時点で被控訴人が分割承継した債権として特定されたものというべきである。そして、本件供託金については、控訴人菊地が、相続人としても、また、マツヨから事務処理を委任され預貯金の払戻しの権限を付与された者としても、還付請求権を有するものではないから、それが被控訴人に属することの確認を求める被控訴人の請求は理由があり、それが控訴人菊地に属することの確認を求める控訴人菊地の反訴請求は理由がない。

三  争点5について

1  本件預貯金三ないし七は、マツヨの遺産に属する可分債権であるから、相続の開始と同時に、相続人の一人である被控訴人に、その相続分である三分の一の割合で承継されたものである。そして、被控訴人は、控訴人国が、控訴人菊地からの請求によって被控訴人が承継取得した債権まで払い戻したことは、無権利者に対する払戻しであって、権利者である被控訴人には対抗することができないとして、その払戻しを請求している。

2  まず、右債権のうち、本件預貯金六は、通常郵便貯金であり、その払戻しについては何の制限もないところ、控訴人国は、これについては何の抗弁も主張しないから、被控訴人の相続分である九〇万三七八一円について、その払戻しをすべき義務がある。

3  次に、本件預貯金三ないし五及び七は、いずれも定額郵便貯金である。

郵便貯金法七条一項三号によれば、定額郵便貯金は、分割払戻しをしない条件で一定の金額を一時に預入する郵便貯金であるところ、共同相続人の一人にすぎない被控訴人が、その相続した部分について定額郵便貯金の払戻請求をすることは、定額郵便貯金の分割払戻請求にほかならないから、預入時の条件に反する払戻請求として、控訴人国がこれに応ずる義務のないことは明らかというべきである。

これに対し、被控訴人は、これでは、相続の前後で権利の性質が不変であるのに、相続前は被相続人一人からの全額払戻請求が認められるのに対して、相続開始後は共同相続人全員からでなければ一切の払戻しが認められない結果となり、相続前後で権利の行使方法に大きな不均衡が生じることとなって不合理であり、相続人の一人が他の相続人の意思により大幅な制約を受忍しなければならない合理的理由はないと主張する。しかしながら、相続人が被相続人から承継取得した債権にはもともと全額でなければ払戻しができないという契約上の制限が付されていたものであり、債権者が相続によって変動したからといってその契約上の制限に変化を来すいわれはなく、共同相続によって債権が当然分割され、債権者が複数となったため、相続人全員からでなければ一切の払戻しが認められないという結果は、右契約上の制限として当然の事理というべきであり、他の相続人の意思によってその行使上の制約を受けることは、まさにそのような特約のある債権を承継した結果に他ならないのであって、何の不合理も存しない。逆に、被控訴人の主張するように、相続によって可分債権となったことによって、相続前には分割払戻しをすることが契約上許されていない定額郵便貯金が、相続という当事者の一方の事情によって、分割払戻しが可能となるということこそ、不均衡であり、一方的に契約上の制限の変更を許容することになるものであって、特にこのような場合を想定した規定ないしは約定が存在しない限り、契約の解釈として採り得ないものであるところ、そのような規定ないしは約定は見あたらない。そして、このような解釈は、郵便貯金規則三三条の規定の存在によって左右されるものではないことはいうまでもない。

また、被控訴人は、相続によって右定額郵便貯金が分割されたから、分割後の債権の払戻請求は分割払戻しではなく債権全額の払戻請求であると主張するが、郵便貯金法七条一項三号に規定する分割払戻禁止の預貯金債権は、預け入れ当時の預貯金債権そのものを指すことはその内容から見て明らかであって、預け入れ後の実体上の権利変動によって複数の預貯金債権となった場合のそれぞれの預貯金債権を指すものではないというべきである。

4  したがって、本件預貯金三ないし五及び七の定額郵便貯金については、被控訴人が単独ではその分割払戻しを請求することが許されない以上、その払戻しを求める被控訴人の控訴人国に対する請求は、その他の点について判断するまでもなく、理由がないというべきである。

四  結論

以上によれば、被控訴人の控訴人菊地に対する請求中、本件供託金について被控訴人が還付請求権を有することの確認を求める部分は理由があるが、その余の部分(なお、控訴人菊地が本件預貯金三ないし七の払戻しを受けたことが不法行為に当たるとして、その損害賠償を求める部分については、これを棄却した原判決に対して被控訴人が控訴していないから、当審において判断をする必要がない。)は理由がなく、本件預貯金一、二及び八の払戻しを受けたことが不当利得に当たるとしてその返還を認めた原判決は失当であるから、控訴人菊地の控訴に基づき、これを取り消した上請求を棄却し、控訴人菊地の被控訴人に対する請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当であるから、同控訴人のその余の控訴は理由がないので、これを棄却する。被控訴人の控訴人国に対する請求中、本件預貯金六について、その法定相続分である九〇万三七八一円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成八年一二月三日(その以前に遅滞に陥ったことを認め得る証拠はない。)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があり認容すべきであるが、その余は理由がなく棄却すべきであるから、これと一部結論を異にする原判決をその旨変更することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 奥山興悦 杉山正己 佐藤陽一)

別紙<略>

(参考)第一審(東京地裁平成八年(ワ)第二二八九一号(甲事件)、同九年(ワ)第一五九一七号―二(乙事件)、同九年(ワ)第二二七七三号(丙事件)平成一〇年二月一三日判決)

主文

一 被告菊地は、原告に対し、金一一六万九三四二円及び内金七六万八〇〇〇円に対する平成五年八月六日から、内金三七万七六六六円に対する平成五年八月二四日から、内金二万三六七六円に対する平成七年三月二九日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 被告国は、原告に対し、金四四〇万九四二一円及びこれに対する平成八年一二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三 原告と被告菊地との間において、原告が別紙供託金目録記載の供託金について還付請求権を有することを確認する。

四 原告の被告らに対するその余の各請求をいずれも棄却する。

五 被告菊地の請求を棄却する。

六 訴訟費用は、甲事件について生じた分を三分し、その一ずつを原告、被告国及び被告菊地の各負担とし、乙事件・丙事件について生じた分はすべて被告菊地の負担とする。

七 この判決は、主文第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一 甲事件

1 主文第一項同旨

2 被告らは、原告に対し、連帯して金四四〇万九四二一円及び内金三〇九万二九四八円に対する平成八年二月八日から、内金一三一万六四七三円に対する平成八年三月一二日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 乙事件

原告と被告菊地との間において、被告菊地が別紙供託金目録記載の供託金について還付請求権を有することを確認する。

三 丙事件

主文第三項同旨

第二事案の概要

原告及び被告菊地はいずれも亡西村マツヨ(以下「マツヨ」という)の相続人であるが、甲事件は、原告が被告菊地に対し、被告菊地がマツヨの死亡後郵便貯金の一部を解約してその払戻金を受領したことについて、不当利得に基づく返還請求及び不法行為に基づく損害賠償を請求し、また、原告がマツヨの郵便貯金について支払停止手続を採った以後、被告菊地による払戻請求を受けてこれに応じた被告国に対し、右払戻行為は無効であるとしてあらためて右郵便貯金の払戻を求めた事案であり、乙事件は、マツヨの預金の預入先である信用組合が右預金の債権者を確知し得ないとして、原告の法定相続分相当額の預金を供託した供託金について、被告菊地がマツヨからの右預金全額の遺贈を受けたことを主張して右供託金の還付請求権を有することの確認を求めた事案であり、丙事件は、原告が乙事件の反訴として右供託金の還付請求権を有することの確認を求めた事案である。

一 前提事実(認定した事実には証拠を掲げる)

1 マツヨは、平成五年八月六日当時、別紙預貯金目録一ないし九の預貯金(以下それぞれの預貯金を「本件預貯金一」などと表示する)を有していた。

2 マツヨは、平成五年八月六日に死亡した。

3 原告はマツヨの姉にあたり、被告菊地はマツヨの兄の息子にあたる。マツヨの相続人は、姉である原告と二人の兄の子ら(代襲相続人)であり、原告の法定相続分は三分の一、被告菊地のそれは一二分の一である。

4 被告菊地は、マツヨの死亡後、次の(一)ないし(三)のとおり、マツヨの預貯金通帳、印鑑を使用して本件預貯金一、二及び八を解約し、これらの払戻金として合計三五〇万八〇二八円を受領した(<証拠略>)。

(一) 本件預貯金一(郵便局・定額郵便貯金)

解約日 平成五年八月六日

払戻金 二三〇万四〇〇〇円

(二) 本件預貯金二(郵便局・定額郵便貯金)

解約日 平成五年八月二四日

払戻金 一一三万三〇〇〇円

(三) 本件預貯金八(東武信用金庫墨田支店・普通預金)

解約日 平成七年三月二九日

払戻金 七万一〇二八円

5 原告は、平成五年九月二九日、墨田二郵便局に対し、本件預貯金三ないし五及び七の定額郵便貯金について、相続を理由とする支払停止届を提出した。

6 被告菊地は、平成八年二月五日、足立郵便局に対し、前記支払停止の解除届及び後記8の書面を提出したところ、右郵便局担当者によって支払停止解除手続がとられた。

7 被告菊地は、足立郵便局において、翌六日、本件預貯金三ないし六の定額郵便貯金及び通常郵便貯金を解約し、同年三月一二日には本件預貯金七の定額郵便貯金を解約し、これらの払戻金として合計一三二二万八二六三円を受領した(<証拠略>)。

8 マツヨは、昭和六〇年六月二〇日(その後、日付のみ平成元年一一月三〇日に変更)、被告菊地に宛てて、自己の死亡後の葬儀や供養、後始末等の依頼内容を記載した書面(以下「本件書面」という)を作成した。本件書面は、マツヨが自署して作成したものであり、本文中にマツヨの署名と日付があり、指印が押されている(<証拠略>)。本件書面には八項目にわたって葬儀、納骨の方法など死後の希望等が述べられているが、その中に「<4> 病気で全部費ってなくなるかわかりませんがもし貯金が余るようでしたらそのまヽにして一週忌三回忌には京都までお詣りに来て貰たいです(供養のためです)」という記載部分がある。

本件書面は、平成六年九月六日、東京家庭裁判所において遺言書として検認された。

9 原告は、マツヨの死亡後、中之郷信用組合に対し、本件預貯金九の預金残高五七万三三六九円(平成八年三月二七日までの利息を含む)のうち、自己の相続分の一部である一九万〇九七〇円の払戻を請求したところ、中之郷信用組合は、被告菊地が本件書面を所持し、本件預貯金九の全部についてマツヨから遺贈を受けたと主張しているため、原告又は被告菊地のいずれが債権者であるかを確知できないことを理由として、別紙供託金目録のとおり、そのうち原告の法定相続分に該当する一九万一一二三円を供託した(以下「本件供託金」という)。

二 争点

1 マツヨは、本件書面によって被告菊地に対し本件預貯金を遺贈したか否か。

2 定額郵便貯金について共同相続人の一人から払戻請求をすることの可否。

三 争点に対する当事者の主張

1 争点1について

(一) 原告の主張

(甲事件について)

本件書面中には本件預貯金を被告菊地に遺贈する趣旨は全く記載されていないから、マツヨがこれを被告菊地に遺贈したとは認められず、本件預貯金の各三分の一は法定相続分どおり原告が相続し、その払戻請求権を取得したものである。

ところが、被告菊地は、自己の法定相続分を超える分については無権利であったにもかかわらず、本件預貯金一ないし八をそれぞれ解約し、その払戻金を全部受領して原告の払戻請求権を消滅させたものであるから、被告菊地は、原告の損失において右払戻にかかる本件預貯金のうち原告の相続分相当額を不当に利得するとともに、原告の権利を不法に侵害したものである。

(乙事件及び丙事件について)

前記のとおり、被告菊地がマツヨから本件預貯金を遺贈された事実はないから、原告は、預貯金九のうち原告の法定相続分について供託された本件供託金について還付請求権を有している。

(二) 被告菊地の主張

本件書面の記載内容からすれば、マツヨが、本件預貯金については相続人間で分割するのではなく、自己の一周忌と三回忌の供養のため京都に墓参りをする際の交通費として、被告菊地にこれを遺贈して使用させる旨の意思を表明していたことが明らかである。

2 争点2について

(一) 原告の主張

(1) 被告国の被告菊地に対する本件預貯金三ないし七の払戻は、被告菊地の法定相続分を超える部分については無権利者に対する払戻であって、無効である、そして、郵便貯金の払戻請求権は金銭債権であり、金銭債権について相続人複数の相続が発生した場合、法律上当然に分割されて共同相続人がその相続分に応じて権利を承継するものであるから、原告は、被告国に対し、本件預貯金三ないし七について自己の法定相続分である三分の一の限度で払戻請求権を有するというべきである。

(2) なお、被告国は、本件預貯金三ないし五及び七の定額郵便貯金について、郵便貯金法により、六か月の据置期間経過後であっても、一〇年の預入期間経過前に分割払戻することが禁じられており、複数いる相続人の一人に過ぎない原告に対して相続分の払戻をすることは分割払戻をすることにほかならないから、原告の請求には応じられない旨主張する。

しかし、右主張に従えば、定額郵便貯金については、相続前と相続開始後とで権利の性質は不変であるにもかかわらず、相続前は被相続人一人からの全額払戻請求が認められるのに対して、相続開始後は共同相続人全員からでなければ一切の払戻が認められない結果となる。そして、本件のように共同相続人間で相続を巡り紛争が生じている場合には、全員一致して払戻請求を行うことは現実的に不可能であるから、結果的には一〇年を経過する以前の払戻が事実上凍結されてしまうこととなる。このように相続の前後で権利の行使方法に大きな不均衡が生じることは不合理であり、相続人の一人が、相続により取得した払戻請求権を行使するについて、他の相続人の意思により大幅な制約を受忍しなければならない合理的理由はなく、被告国の主張は理由がない。

(3) また、金銭債権は、相続に際し、法律上当然に分割されて承継される以上、各相続人が個別に権利行使をできることは明らかであるから、契約の当事者の一方が数人ある場合には該当せず、民法五四四条の規定は適用されない。

(二) 被告国の主張

(1) 定額郵便貯金について、郵便貯金法七条一項三号は、「一定の据置期間(施行令により六か月)を定め、分割払戻しをしない条件で一定の金額を一時に預入するもの」と定めており、据置期間経過後も、預入の日から一〇年が経過して通常郵便貯金となる(同法五七条)までは、通常郵便貯金とは異なり、預け入れた貯金額を分割して払い戻すことができず、払戻を求める場合には全額について払戻を受ける必要がある。このように、定額郵便貯金は、分割払戻ができない郵便貯金であり、分割払戻を前提として残金の管理方法等に関する取扱いを定めた法令もない。

そして、相続が生じた場合にも債権の性質が変化するものではないから、相続により定額郵便貯金についての権利を承継した共同相続人もまた、預入の日から一〇年が経過して通常郵便貯金となるまでは、右と同様の拘束を受けることは当然である。

(2) また、郵便貯金規則八三条の一一は、定額郵便貯金の預入金額を「千円、五千円、一万円、五万円、十万円、五十万円、百万円又は三百万円」と定めている。仮に一部の相続人についてその相続分に応じた貯金額の分割払戻を認めた場合、一口を分割することになるが、残余部分の取扱いを定めた規定がないため、これを定額郵便貯金として存続させた場合には、右規則の定める単位未満の金額を一口とする定額郵便貯金を認めることになる。一方、これを根拠なく通常郵便貯金として取り扱えば、有利な定額郵便貯金の継続を希望する他の相続人の利益を害することになる。いずれにしてもそのような事態の発生は法の予想するところでなく、分割払戻後の残金の管理が極めて困難になるのである。

(3) したがって、本件預貯金三ないし五及び七の定額郵便貯金については、その預入の日から一〇年を経過していないから、分割払戻禁止の制約を受けており、すべての相続人が共同して全額の払戻請求をした場合でない限り、相続人による払戻請求に応じることはできない。

(4) さらに、相続人の一人からの払戻請求は貯金契約解除の意思表示と見ることができ、民法五四四条の規定が適用される結果、相続人全員から被告国に対して解除の意思表示がされることが必要であるところ、本件ではこの要件を欠いているから、いずれにせよ、原告の定額郵便貯金についての払戻請求は認められない。

第三当裁判所の判断

一 争点1について

1 被告菊地は、本件書面をもって、マツヨが被告菊地に本件預貯金すべてを遺贈する意思を表明した遺言であると主張するので、この点について判断するに、本件書面は、前記前提事実のとおり、マツヨが自署したものであり、本文中に日付及び氏名が自署され、かつ、マツヨ本人の指印が押捺されていることから、自筆証書遺言としての要件を具備したものと認められる。

2 そこで、本件書面をもって、マツヨが被告菊地に対して本件預貯金を遺贈したものと認められるか否かについて判断する。

被告菊地が、本件書面中に、本件預貯金を被告菊地に対して遺贈する旨のマツヨの意思が記載されていると主張する部分には、前記のとおり「<4> 病気で全部費ってなくなるかわかりませんがもし貯金が余るようでしたらそのまヽにして一週忌三回忌には京都までお詣りに来て貰たいです(供養のためです)」との記載があり、その直前には「<3> 郵便局の保険一〇〇万円 (これば全部(一〇年分)全納してあります 日本生命の保険六〇万円 これを合せて費用に使って下さい」との記載があるところ、右記載内容及び<証拠略>によれば、マツヨは、自己の死亡後貯金が残るようなことがあれば、晩年に世話になった被告菊地が遠方の京都に墓参りに来る際の費用として使用して貰いたい旨の希望を有していたことが認められるものの、本件書面中には、それを超えて、マツヨが自己の預貯金を被告菊地に対して遺贈する旨の処分意思を表明した記載は全く存しない。そればかりでなく、本件書面の記載からは右墓参りの費用に当てる貯金が<3>に記載したものか、それ以外のものを含むのか明らかでない上、被告菊地が遺贈を受けたと主張する個々の預貯金については具体的に言及する部分は全く見られないのである。また、被告菊地本人は、平成四年一〇月ころ、マツヨから、今後の面倒を全部を任せるということで通帳類や印鑑を預かった旨供述するが、そのとおりであるとしても、被告菊地本人は、その一方で、マツヨから遺贈という言葉が出なかったことを明言しているのであるから、これもまた、同女の死亡後については、右供養に際しては預貯金から費用を支出して欲しいとの同女の意向が表明されていたとみるのであれば格別、これを超えて被告菊地への遺贈の意思が表示されていたものと認めることはできないというべきである。

3 以上からすれば、被告菊地の主張する前記記載部分はマツヨが自己の死亡後において被告菊地に対して供養等の希望を表明したにとどまるものといわざるを得ず、右記載をもってしてはマツヨが自己の預貯金全部を被告菊地に対して遺贈する旨を表明したものとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

二 争点2について

1 争点1において判断したとおり、マツヨが被告菊地に対して、本件預貯金を遺贈した事実は認められず、被告菊地は本件預貯金について自己の法定相続分を超える払戻請求権を有しないことになるから、足立郵便局が行った本件預貯金三ないし七の払戻のうち、被告菊地の相続分を超える部分は、無権利者に対するものとして無効なものといわなければならない。

したがって、本件預貯金三ないし七は、金銭債権として、相続により法律上当然に分割され、共同相続人がその相続分に応じて権利を承継するものと解されるから、原告は、マツヨの相続人として、右各貯金について自己の法定相続分(三分の一)に応じた権利を有していることになる。

2 そこで、このような場合において、原告が被告国に対して本件預貯金三ないし七について各三分の一の払戻を請求することができるか否かについて検討する。

(一) 被告国は、この点について、右のうち定額郵便貯金については、郵便貯金法七条一項三号により分割払戻が禁じられているから、共同相続人全員による全額の払戻でない限り、個別の払戻は許されないとして、相続人の一人に過ぎない原告からの払戻請求には応じられない旨主張する。

右のように、定額郵便貯金を分割払戻することを制限している趣旨は、通常郵便貯金より有利な取扱いをする代わりに、元本を一定の額に限定することにより貯金の管理を容易にしたものであるということができるのであって、分割払戻の制限が定額郵便貯金であることから当然に必要となるものではない。しかも、現行法規上、預入金額は八段階に限定されているが、最低限は一〇〇〇円とされ、貯金管理における容易性は相当程度犠牲にされているものともいえる。

分割払戻の制限の趣旨、程度が右のようなものであるとすると、この制限は、定額郵便貯金について相続が生じた場合、前述のとおり払戻請求権は各相続人に当然に分割されるという原則に何らの影響を与えるものではないと解すべきである。

そうだとすると、被告国の主張を採用した場合には、貯金者は、定額郵便貯金を解約して定額郵便貯金から通常郵便貯金へ移行させれば、単独で一部の払戻を受けることができたにもかかわらず、相続開始後は相続人全員が分割して取得した払戻請求権を共同して行使しない限り、単独では権利行使のための措置を一切採ることができないということになる。また、相続が生じた場合、預入後一〇年の経過により通常郵便貯金になる前にあっては、当該定額郵便貯金について払戻請求権を取得した相続人の一人は、自己の権利をいくら明らかにしても、他の相続人が右払戻請求に協力しないという一事のみにより、その権利行使を制約されてしまうことになる。このような結果は、前述のような郵便貯金法七条一項三号が定められた趣旨に照らし、相続という意図せざる事情から定額郵便貯金の権利者となり、右権利関係を清算する必要に迫られた相続人に対し、過大な制約を課すものというべきであって、相当でないといわざるを得ない。

被告国は、定額郵便貯金の分割後についての取扱いを定めた規定がないこと及び単位未満の貯金についての取扱いを定めた規定がないことから国の取扱いに不便が生じると主張する。しかし、規定の解釈からみても、定額郵便貯金については相続が生じた場合の取扱いを明示的に定めた規定はないが、郵便貯金規則三三条は、相続により郵便貯金に関する権利が承継された場合について同規則二九条ないし三二条の規定が準用されるとした上で、同規則三三条ただし書では、「二人以上の相続人があるときは、名義書換又は転記の請求をする相続人以外の相続人の同意書を提出しなければならない」と定めており、右規定中特に定額郵便貯金についての適用を除外した定めは存しないことからすれば、右三三条の規定は、相続発生の場合の名義書換手続に関する総則的な規定として、定額郵便貯金についても適用されるものと解するのが相当である。

右規定によると、定額郵便貯金についても、据置期間経過後である限り、複数の相続人がいる場合であっても、他の相続人の同意があれば、一人の相続人が名義書換手続を行い、これに基づいて自己の相続分についての払戻を受け得ることが予定されているものというべきであるから、郵便貯金法は、定額郵便貯金について分割払戻を制限する一方で、郵便貯金規則三三条所定の要件を具備する場合でさえあれば、一人の相続人が相続分に応じて分割して払い戻すことを認めているものと解することができる。

以上の判示からすれば、被告国の主張する分割払戻を制限した規定をもって相続開始によって不可避的に生ずる権利関係の清算を妨げることができるとする合理的な理由は認められず、郵便貯金規則において相続発生時の名義書換手続が定められ、右規則は定額郵便貯金についても適用されることが予定されていることからすれば、結局、被告国の主張する分割払戻制限の規定は、本件のように相続によって法律上債権が当然に分割される場合にまで及ぶものではないと解するのが相当である。

(二) なお、本件では、共同相続人の一人である原告が定額郵便貯金の払戻を請求しており、これについて他の相続人の同意が得られたものではない以上、原告からの払戻請求は、郵便貯金規則三三条が適用されるとも考えられるが、被告国は、右規定による制限を主張しておらず、また、本件では、前記一で判示したとおり、裁判所が、被相続人であるマツヨの相続人の範囲を確定した上、同女が被告菊地に対して本件預貯金を遺贈した事実を認め得ず、したがって、本件預貯金は法定相続に従って分割して承継され、原告は本件預貯金三ないし七について各三分の一の権利を有していることを確認しているのであるから、郵便貯金規則三三条の規定により払戻が制限されるとする余地はない。

(三) また、被告国は、相続人の一人からの払戻請求は貯金契約についての契約解除の意思表示と見ることができ、民法五四四条の規定が適用される結果、相続人全員から契約の相手方である被告国に対して解除の意思表示がされることが必要である旨主張するが、前述のとおり、金銭債権は相続により法律上当然に分割されて共同相続人に承継されるのであるから、相続開始後の貯金の権利関係については、民法五四四条にいう契約の当事者の一方が数人ある場合には該当しないというべきであり、被告国の右主張は理由がない。

3 よって、原告は、被告国に対し、本件預貯金三ないし七について、各三分の一の払戻請求をすることができるというべきである。

三 結論

1 前記一のとおり、マツヨが被告菊地に対して本件預貯金を遺贈した事実は認められないから、被告菊地は本件預貯金一、二及び八について自己の法定相続分(一二分の一)の払戻請求権を有するのみで、これを超えて預貯金全額を解約してその払戻金を受領する権限はなかったものというべきである。

したがって、本件預貯金一、二、及び八について被告菊地が受領した右払戻金のうち原告の法定相続分(三分の一)である一一六万九三四二円は、原告の損失において被告菊地が不当に利得した金員であるから、被告菊地は、原告に対し、悪意の利得者として右金員を返還するとともに、右解約の日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

2 また、原告は、本件預貯金九について法定相続分に従った払戻請求権を有するところ、本件供託金は、原告からの右預金払戻請求に対し、中之郷信用組合において原告の法定相続分として供託したものであるから、右供託の時点で、本件供託金は原告の相続分として特定されて分離されたものと解されるので、原告は本件供託金について還付請求権を有するというべきである。

3 さらに、前記二のとおり、本件預貯金三ないし七については、原告は自己の法定相続分について、被告国に対して払戻請求をすることができるところ、本件預貯金三ないし七についての被告国の払戻債務は、被告国が原告からの請求を受けてはじめて遅滞に陥るものと解されるから、被告国は、原告に対し、本件預貯金三ないし七の総額一三二二万八二六三円の三分の一である四四〇万九四二一円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である平成八年一二月三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

そして、右のとおり、原告は、依然として被告国に対して本件預貯金三ないし七についての払戻請求権を有するものであるから、これについて損害が発生したものとは認められず、原告の被告菊地に対する不法行為に基づく損害賠償請求は理由がないというべきである。

4 よって、原告の甲事件請求の一部と丙事件請求は右の限度で理由があるからこれらを認容し、その余はいずれも棄却することとし、被告菊地の乙事件請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

(裁判官 相良朋紀 安浪亮介 新谷祐子)

預貯金目録<略>

供託金目録<略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例